璧を完うす(へきをまっとうす) 別館

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集団自決は軍の関与!で?

以下朝日新聞社説より引用
集団自決判決―司法も認めた軍の関与  太平洋戦争末期の沖縄戦で、米軍が最初に上陸したのは那覇市の西に浮かぶ慶良間諸島だ。そこで起きた「集団自決」は日本軍の命令によるものだ。  そう指摘した岩波新書沖縄ノート」は誤りだとして、慶良間諸島座間味島の元守備隊長らが慰謝料などを求めた裁判で、大阪地裁は原告の訴えを全面的に退けた。  集団自決には手投げ弾が使われた。その手投げ弾は、米軍に捕まりそうになった場合の自決用に日本軍の兵士から渡された。集団自決が起きた場所にはすべて日本軍が駐屯しており、日本軍のいなかった所では起きていない。  判決はこう指摘して、「集団自決には日本軍が深くかかわったと認められる」と述べた。そのうえで、「命令があったと信じるには相当な理由があった」と結論づけた。  この判断は沖縄戦の体験者の証言や学問研究を踏まえたものであり、納得できる。高く評価したい。  今回の裁判は、「沖縄ノート」の著者でノーベル賞作家の大江健三郎さんと出版元の岩波書店を訴えたものだが、そもそも提訴に無理があった。  「沖縄ノート」には座間味島で起きた集団自決の具体的な記述はほとんどなく、元隊長が自決命令を出したとは書かれていない。さらに驚かされたのは、元隊長の法廷での発言である。「沖縄ノート」を読んだのは裁判を起こした後だった、と述べたのだ。  それでも提訴に踏み切った背景には、著名な大江さんを標的に据えることで、日本軍が集団自決を強いたという従来の見方をひっくり返したいという狙いがあったのだろう。一部の学者らが原告の支援に回ったのも、この提訴を機に集団自決についての歴史認識を変えようという思惑があったからに違いない。  原告側は裁判で、住民は自らの意思で国に殉ずるという「美しい心」で死んだと主張した。集団自決は座間味村の助役の命令で起きたとまで指摘した。  だが、助役命令説は判決で「信じがたい」と一蹴された。遺族年金を受けるために隊長命令説がでっちあげられたという原告の主張も退けられた。  それにしても罪深いのは、この裁判が起きたことを理由に、昨年度の教科書検定で「日本軍に強いられた」という表現を削らせた文部科学省である。元隊長らの一方的な主張をよりどころにした文科省は、深く反省しなければいけない。  沖縄の日本軍は1944年11月、「軍官民共生共死の一体化」の方針を出した。住民は子どもから老人まで根こそぎ動員され、捕虜になることを許されなかった。そうした異常な状態に追い込まれて起きたのが集団自決だった。  教科書検定は最終的には「軍の関与」を認めた。そこへ今回の判決である。集団自決に日本軍が深くかかわったという事実はもはや動かしようがない。
以上引用終わり >「集団自決」は日本軍の命令によるものだ。 (引用文中のこの間隔が何か意図的に感じるのは私だけでしょうか?) そう指摘した岩波新書沖縄ノート」は誤りだとして、慶良間諸島座間味島の元守備隊長らが慰謝料などを求めた裁判 そう、この裁判は日本軍の命令があったかどうかが争点。 >「集団自決には日本軍が深くかかわったと認められる」と述べた。 なぜか触れられていないが、“命令”があったとは認定されなかった。 関与が認定されただけ。 もちろん関与=命令ではない。 当時、沖縄はもちろん日本中で軍の関与がないことなんてあるだろうか? >そのうえで、「命令があったと信じるには相当な理由があった」と結論づけた。 要するに、大江健三郎氏や岩波書店が「命令があったと思っちゃってもしょうがなかった」と認定しただけだよ。 >集団自決に日本軍が深くかかわったという事実はもはや動かしようがない。 なんで勝ち誇ってんだw?しかも地裁だし… もうひとつ言っとくと裁判の結果=真実ではないから。 裁判での事実とはあくまでその裁判で双方から提出された証拠・証言等をもとに裁判所が判断するものであるだけで、実際の事実と同じではない。 すべての証拠や証言が裁判に提出されるとは限らないし、裁判官の判断が正確とも限らない。 社会の便宜上、裁判の結果をもって当事者間でそれを事実とするだけだから。 裁判制度を否定するわけではないけど、裁判所は真実の探求をする機関ではない。