なめられる日本外交
75年前(1933年)の今日(2/24)は、満州事変に対するリットン調査団の報告が採択されたのを不服として、日本が国際連盟を脱退した日だ。
この判断が後の対米英戦へとつながっていったというのが定説であるが、その是非はここでは問わない。
ただ、その後敗戦という結果を招いたため、日本人の中に外交交渉の決裂ということに対するトラウマができたのではないかと思う。
敗戦後の日本の外交はことさらに決裂を避け、あるいは卑屈ととられ弱腰ととられようとも交渉を妥結に持っていっている。
もちろん“和をもって尊しとなす”という日本人の性質からきている面もあろう。
しかし、日本が交渉決裂を最終的には避けるということがわかっていれば、相手国はより強い態度に出るであろうし、日本としても選択肢の1つを失って交渉に臨まなくてはならない。
その結果としての外交的損出は如何ばかりであろう。
当時の外相松岡洋右を見習えとは言わないが、時には決然と席を立つことも必要なのではないだろうか。
もちろんあくまでも“時には”だが。
手始めに6ヶ国協議から席を立ってみては如何。