璧を完うす(へきをまっとうす) 別館

日本人の良き精神、大和魂という璧(宝物)を損なうことなく次の世代へ完うしたい!そんな願いを込めたブログです。

トルコを支援する無名の人々

日本から心のこもった援助、「がんばれトルコ」 2011年10月26日付 Milliyet紙(トルコ紙) ヴァンでおきた激しい地震ののち、日本の人々は、東京にあるトルコ大使館の郵便ポストに現金のはいった封筒や支援のメッセージを投函して立ち去っている。 頑張れトルコ メッセージの一部 訳「トルコ救援のために」 トルコがこの3月に日本でおきた地震ののちに行った支援を忘れなかった義理がたい日本の人々は、中にお見舞いや哀悼のメッセージの入った現金入りの封筒を、そっと残し立ち去っている。 中にはトルコ語で「トルコTurkiye、救助用kurtarma icin」のようなメモが添えられ、封筒に入れられた現金がトルコの在東京大使館にあつまっている。その多くは匿名である。5歳の子供からの「ガンバッテ(Ganbatte)・トルコ」という手紙も、郵便ポストに投函された手紙のなかで特に注意をひいていた。 現金入りの封筒に添えられ、その一部は匿名の、あるいは、年齢と性別だけを書いたメモには、次のような言葉がかかれていた。 「地震にあった方々にお見舞い申し上げます。3月に日本でおきた地震の時の支援に対し、1人の日本人として、感謝しています。」 「ヴァンでおきた地震が大被害をもたらしたと聞きました。日本人として、現地での救助活動と事態の正常化にお役にたちたいと思います。」 「ほんのわずかですが、被害者のために使ってもらえればうれしいです。被害がこれ以上大きくならないことを祈っています。」 「ヴァンの地震で亡くなられた方々のご家族に、心からのお悔みを、また、地震にあわれた皆さんにお見舞いを申し上げます。3月11日におきた日本での大惨事のとき、トルコからたくさんの支援物資と支援金をいただきました。どうもありがとうございました。今度は、私が皆さんに手助けをしたいと思います。(男性、福島在住)」 「何より、ご冥福を祈ります。同じ年に、一つの大陸の両端で、大きな悲劇が起きたことを悲しく思っています。私は教師(高校世界史)なので、トルコの歴史や、トルコの人々の勇気、アタテュルクの偉大さをよく知っています。一刻もはやく被災者の皆さんの生活が元に戻り、両国の友好がさらに深まることを祈っています。」 「地震にあわれた皆さんにお見舞い申し上げます。3月に日本でおきた地震のときの支援に対し、日本の市民として皆さんに感謝申し上げます。」 「明治時代以来の両国間の友好と、イラン・イラク戦争のときの在テヘラン在留邦人救出に対し、和歌山県在住者として感謝します。2008年に大統領が訪日したこともうれしいことでした。どうか、お大事に。」 ■まだ、傷もいえていないのに・・・ この興味深い支援のやり方や手紙に関し、AA通信のインタビューに応じた在東京トルコ大使館の広報担当シナン・キュリュン氏は、これまでに郵便ポストに届いた封筒のなかからでてきた現金が、数千ドルにのぼるとのべ、今もそれが続いている、と語った。 キュリュン氏は、この状況が、トルコと日本の国民どうし、国どうしの間に生まれる、悲劇の時の助け合いの気持ちの端的な証拠であるとし、これは本当に手本となるべきことだと述べた。 キュリュン氏は、郵便ポストに投げ込まれる支援のほか、日本最大のスーパーマーケット・チェーンの会長が大使館を訪れ500万円の小切手を、トゥンチ・アングル大使代理に渡したことも明らかにした。また、トルコの県や町と姉妹都市である日本の自治体も、それぞれ独自に募金箱を町において、支援金を集めているという。 キュリュン氏によると、在東京トルコ大使館の郵便ポストに届いた封筒の一部は、原発事故の影響を受けている福島や、地震の被害の大きかった東北地方から来たものだという。M9.0の地震ののち、まだ自分たちの傷もいえていないこの地方の人々が、トルコの支援に感謝し、お返しを送ってくれていることに対し、大使館員たちはとても感動しているという。 キュリュン氏は、大使館の郵便ポストは通りに面しており、日本の人たちは封筒を投函して立ち去る際、あまり顔をみられたがらないと語り、この行動も、自分たちを感動させると述べた。キュリュン氏によると、日本の子供たちも、トルコと日本の旗を書いた紙にお金を包んで郵便ポストにいれていったといい、支援金は日に日に増えていると述べた。 ■市民からの支援金は10万ドルを越えた 大使館関係者によると現在までに日本の市民からの支援金は10万ドルを超えており、日本の人々からたえず電話やメール、手紙を受けとっている、という。日本政府は、トルコに対し、日本国際協力機構を通じて、3千万円(約40万ドル)と、テント、緊急物資を送ることを決めている。

以上引用終わり 人間はかくも高潔になれるものかと、感嘆する。 日本人も本当に立派だと思うし、そうさせるトルコの人々の義理堅さもまた、素晴らしいと思う。 そして双方ともそれを誇ったり自慢したりしない。 まさに美しき人間性の発露だ。 これまでの両国の友好の歴史を、ここに端的に紹介しよう。
1890年 トルコ軍艦エルトゥールル号遭難に際し、和歌山県串本町の人、必死の救助。69人を救出し、のちに軍艦でトルコまで送り届ける。また、山田寅太郎が寄付を募り、2700万円をトルコまで届ける。 1905年 日露戦争で日本勝利。ロシアの南下に苦しんでいたトルコ人歓喜!イスタンブールトーゴー通り、ノギ通りができる。 1985年 イランイラク戦争テヘランに取り残された日本人を、トルコ航空が撃墜される危険も顧みず、救出に向かう。215名全員を助け出す。 1999年 トルコ北西部地震発生。全人口の2割が被災。日本政府や民間団体は、救助隊や義援金のほか、阪神淡路大震災の教訓を活かし、テント・仮設住宅や食料などの物資を送る。 2011年 東日本大震災発生。トルコ政府は救助隊3チームを派遣。義援金や物資を送る。 2011年 トルコ東部地震発生。日本からの支援、現在進行形。
アジアの東の果てにある日本の国旗は、朝日を想わせる日の丸。 日の丸 アジアの西の果てにあるトルコの国旗は、夕暮れの空に輝く新月旗。 新月旗 1日の初めと終わりをつなぐ架け橋は、ボスポラス海峡にかかるファーティフ・スルタン・メフメト橋(※)のように、両国の人々によってゆるぎないものになっているのだ。 ※日本の開発援助によってかけられた橋 人気ブログランキングへ 人気ブログランキングへ トルコがんばれ!と思われた方はクリックを! FC2 Blog Rankingへ