無縁国家「日本」
個人個人にキャラクターがあるように、国家にもキャラクターがある。
国家はいろんな人の集合体であるから、内容は雑多であるはずなのに、国という単位で見るとやはり、特徴がそれぞれにある。
では日本のキャラクターはどんなだと言うと、それは対人恐怖症(国だから対国恐怖症か?)の国ではないかと思う。
先日、NHKで「無縁社会」という特集が放送されたそうだ。
私は見ていないが、NHKのサイトによると無縁社会の定義は、
NHK「あすの日本」 ということだそうだ。 放送では人とのつながりが乏しい、あるいは切れた人々の実態が取材されようだが、今の日本で無縁社会が広がるのはある意味当然だと思う。 それはなぜかというと、人との付き合いが不得意な人が非常に多いからだ。 人と付き合い親密になるということは、相手の範囲に侵入するとともに、自分の中にも相手を入れなければいけなくなる。精神的に。 ところが人付き合いが苦手な人は、自分に自信がない人が多いので、自分の中身を他人に晒すことができない。 自分の中身を知られたら、嫌われると思っているから。 だから、自分の中に相手をいれない、拒絶する、すると相手も距離をとるようになるので、結局親密にはなれず、無縁になっていく。 リアルで人間関係を構築できないので、ネットでそれを行うということもあるようだが、ネットは相手との距離を確実に取ることができる(本当の自分を隠しておける)ので安全な分、親密になるには限度がある、ネットだけでは。 長々と無縁社会について書いたのは、個々人が対人恐怖的であるのと同様に、国も同じような特性を持っていると感じるからだ。 大東亜戦争で敗戦し、GHQのプロパガンダで日本がすべて悪であったかのような洗脳を受けた日本は、国家としての自信を失った。 根源的な自信を持たないため、常に外国からの評価や反応を気にし、それに一喜一憂してきた。 いつもびくびくと他国に目におびえ、他国に対しては閉鎖的な国であり続けた。さまざまな意味で。 結局、戦後65年たっても真の友好国といえる国はできず、父親的存在だったアメリカから離れられずにいる。 日本は、無縁社会ならぬ、無縁国家ではないか? そしてその寂しさを埋めるために、経済的な実績を追及し、どの国からも一目置かれる経済国となった。 その経済力を使ってODAなどの援助を行い、否が応でも注目されるようにはなった。 しかしそれで寂しさは埋まらない。 他国は“金”を見ているのであって、日本という国を見ているのではないからだ。 今、その経済力も以前に比べ翳りを見せ、悲観論が花盛りだ。 「経済力を失った日本はだれも振り向いてくれない」、と怯えているようにも見える。 ちょっとまってくれ!日本はそれだけの国か? 悠久の古代から一度も絶えることなく続く歴史と伝統 ―受け継がれている歴史と伝統 その歴史が紡いだ日本精神 ―万物に神が宿る国 守り育ててきた四季折々の自然と風土 最先端のテクノロジー ―「はやぶさ」と「隼」 洗練されたカルチャー ―B’z松本だけじゃない!クラシック、ジャズ、邦楽でも日本人関連作品が受賞…グラミー賞 YAHOOニュース 近未来的な都市群 モラルが高く、秩序立った社会 ―知られていない意外な日本のよさ Rails で行こう!より 下を向く必要がどこにあるのか? バブルの時のような過信は良くないが、もっと自信を持っていこう! 個々人が自信を取り戻せば、日本も国家として自信を取り戻せるし、日本国が自信を持てば、国民も自信を取り戻せる。 そうすれば“無縁”なんてことはなくなる。 日本に好感を持ってくれている人や国は非常に多いのだ。 ―「世界に良い影響」日本2位…BBC・読売調査 読売新聞より 日本が自信を持って、胸襟を開けば、多くの国と連帯することができる。 そして日本には、そうする責務がある。世界のために。 日本に自信を取り戻そう!という方はクリックを!家族、ふるさと、そして会社とのつながりが急速に切れている社会でした。私たちは、こうした社会を「無縁社会」と呼ぶことにしました。