璧を完うす(へきをまっとうす) 別館

日本人の良き精神、大和魂という璧(宝物)を損なうことなく次の世代へ完うしたい!そんな願いを込めたブログです。

“友愛”外交を熱く語る(笑)

以下産経新聞より抜粋

【鳩山会見詳報】「友愛外交でEUできた」(26日午後) 安倍晋三元首相が昨日、「友愛外交が絶対に北朝鮮に通じないのは間違いない」と発言した。友愛外交は北朝鮮に通用するか 「安倍元総理が友愛外交を否定されたのかもしれませんが、あの方には必ずしも友愛外交、お分かりにならないかもしれません。決して友愛外交はなまっちょろい話ではありません。価値観の異なる国同士というものがどのようにしたら、この世界の中で、お互いにその存在というものを認め合えるような立場になり得るかということ。これは大変重要な、大きなテーマだと私は思います」 「確かに北朝鮮のように、何を行うか分からないような国に対して、簡単に、この、いわゆる、たぶん、北風と太陽でいえば太陽戦略みたいなものを想定しておっしゃっているのかもしれませんが、太陽的な発想だけで北朝鮮のマントを脱がすことは難しいかもしれません。合わせて、北風との両面作戦というものが必要なのかもしれませんが、私は、だからといって、価値の違う国同士が、これをお互いに認め合わないような外交というものを脱却しなければならない、大変重要な局面に来ているのではないかと。そのように考えておりまして、友愛外交をこれからも、もっと模索をしていくすることが、私は政府にとっても必要だと思っております」 「本来ならば、このような価値観の違う国同士が混在しているのが世界でありますだけに、その世界の中で同じ価値だけ求めるような、いわゆる麻生総理の価値の外交ではなくて、価値観の違う国同士がいかにして両立できる状況をつくるかと。これは難しい命題でありますが、それを果たすのが初めて外交だと思っておりまして、その意味で、非常に、これは、友愛外交というのは難しいテーマではありますが、それを現実に行ってきたのがヨーロッパ、EU(欧州連合)であることを考えたときに、敵視し合っていたフランスとドイツとの間でも、最終的に友愛外交に基づいて、結果としてあのようなEUができあがったことを考えたときに、今、世界がそのことをあきらめてはいけないと。私はそう思っております」

以上引用終わり ご高説承りました(笑) >価値観の異なる国同士というものがどのようにしたら、この世界の中で、お互いにその存在というものを認め合えるような立場になり得るか 人間個人個人はその能力や特性に大きな違いがある。 アインシュタインと凡人ではやはり違うだろう。 しかし、人間が多数で形成する集団という単位になれば、その能力差は平準化され、差はかなり小さくなる。 個々の中学生では成績にかなりばらつきがあっても、公立中学校単位での成績はそれほどの差ではない。 同様に国と国とでも、国が多くの人間が属し、多人数で意思決定する組織であるならば、その価値観の相違は、さほどのものではない。 だから認め合えるようになるだろう。 しかし、独裁者の国とそうでない国とでは話が違う。 独裁者は一個人であるから、価値観、認識において個人差が大きく、その人のパーソナリティに大きく依存する国というのは、認め合えるかどうか分からない。 独裁者はカエサルかもしれないし、ネロかもしれないのだ。 自身の健康状態が悪化した今でも後継者を決定できない金正日は、少なくともカエサルではないだろう。 ネロより悪いかもしれない。 そんな独裁者に友愛が通じるのか? >敵視し合っていたフランスとドイツとの間でも、最終的に友愛外交に基づいて、結果としてあのようなEUができあがった ヨーロッパになぜEUができたか。 それは共通の宗教的価値観と成熟した社会レベルを各々の国が持ち合わせていたからだ。 つまり価値観の相違は小さかったということ。 日本と北朝鮮の関係で持ち出す例としては極めて不適当。 “友愛”外交の例としても不適当。 0点 >北風と太陽でいえば太陽戦略みたいなものを想定しておっしゃっているのかもしれません 根本的に分かっていないようだが、北風も太陽も相手がそうするように仕向けていることには変わりない。 方法論の違いだけで、北風が無理やりとか太陽がやさしいとか、全くそういう違いではない。 どっちもこちらの意に沿う結果がでるようにしているだけ。 “友愛”が太陽戦略ならまだ支持するぜ。 相手が自覚しないくらい狡猾に、こちらの意図に沿わせる戦略なんだから。 でも鳩山氏のいう“友愛”は戦略ですらない。 よく考えてもせいぜい情熱とか博愛の精神といったものだろう。 国際社会が一つの国のように、統一された強制力のある法体系で律せられているなら、「わかりあいましょう」も称賛されるかもしれない。 日本国内で個人が言う分にはほめられるだろうように。 なぜなら、わかりあえなくて争いになった時、不利益をこうむったときには、法という裁定を下せる装置があるから。 正直者がバカを見ることもない。 けれど、言わば無法地帯の国際社会で、強制力をもたない国が“友愛”を語っても相手にされない。 それどころか、みな相手をどうやって出し抜こうか、しのぎを削ってる中で、いい“かも”と思われるだけだ。 日本はこれまでだって馬鹿正直にやってきて、さんざん食い物にされてきたじゃない。 まだ、これ以上にやるつもりかよ。 かんべんしてくれ。 人気ブログランキング参加中!人気ブログランキングバナー小

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