璧を完うす(へきをまっとうす) 別館

日本人の良き精神、大和魂という璧(宝物)を損なうことなく次の世代へ完うしたい!そんな願いを込めたブログです。

竹島と北方領土

以下産経ニュースより引用
「竹島の日」の制定 政府答弁書「特段の決定なし」 2008.2.29 18:42  政府は29日の閣議で、韓国が領有権を主張している日本の固有の領土・竹島に関連し、政府として現段階で「竹島の日」の制定をする考えがないとする答弁書を決定した。鈴木宗男衆院議員質問主意書に答えた。  「竹島の日」(2月22日)は島根県が平成17年に条例で制定しているが、政府の対応については答弁書「特段の決定は行っていない」として、協議や検討をしていないことを明らかにした。
以上引用終わり 北方領土の日(2/7)はあるのに、竹島の日は >「特段の決定は行っていない」 ですか。 どこに差があるんですかね。 どちらも日本固有の領土ですよ。 あるとしたら相手国の違いしかない。 そして我々も意識しなければならない。 政府とは逆に「竹島」は話題にのぼっても、北方領土はのぼらない。 北方領土も紛れもない日本の領土。 忘れてはならない。 終戦のどさくさにまぎれて不法に占領された北方領土と 戦闘を放棄した日本に対するソ連軍の攻撃を。 1945年8月20日日ソ不可侵条約を破り樺太真岡町に上陸を開始したソ連軍と 日本軍の間に戦闘が起こり、ことの経緯を発信し続けた真岡郵便電信局勤務の 民間人女性のうち9名(3名は生存)が追い詰められ自害に追い込まれた事件は あまり知られていない。 乙女の碑 北のひめゆりフラッシュ 稚内市に立つ、殉職した9名の乙女を悼む碑にはこう刻まれている 碑文

「戦いは終わった。それから5日、昭和20年8月20日ソ連軍が樺太真岡上陸を開始しようとした。その時突如、日本軍との間に戦いが始まった。戦火と化した真岡の町、その中で交換台に向かった九人の乙女等は、死を以って己の職場を守った。窓越しに見る砲弾のさく裂、刻々迫る身の危険、いまはこれまでと死の交換台に向かい『みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら……』の言葉を残して静かに青酸カリをのみ、夢多き若き尊き花の命を絶ち職に殉じた。戦争は再びくりかえすまじ。平和の祈りをこめて尊き九人の霊を慰む」

九人の乙女の像
九人の乙女の碑 また、千島列島の北端「占守島」では1945年8月18日からソ連軍の奇襲により戦闘が始まり 戦闘停止命令がでる8/21まで激烈な戦闘が行なわれています。 これが帝国陸軍最後の戦闘となりました。 日本軍は約600名の死傷者を出すも、果敢に反撃しソ連軍を追い詰めています。(ソ連軍の死傷者は3,000名) ソビエトの新聞イズベスチアは多大な犠牲を出したこの戦闘を、「ソビエト人民にとって悲しみの日」と伝えています。 樺太・千島における終戦後の戦闘。 やむにやまれず敢闘した軍人や民間人の頑張りが、北海道をソ連による占領から救ったのです。 また、ここからシベリアに抑留されなくなられた方も多数います。 日本人として忘れてはならない、竹島北方領土も。 日本人が血と汗と涙を流した日本固有の領土を。 人気ブログランキングへ 人気ブログランキングへ