璧を完うす(へきをまっとうす) 別館

日本人の良き精神、大和魂という璧(宝物)を損なうことなく次の世代へ完うしたい!そんな願いを込めたブログです。

白豪主義オーストラリアと反捕鯨

松尾光太郎 de 海馬之玄関BLOGから転載させていただきました。
何もいいません。この動画を見てください。オーストラリアの反捕鯨の欺瞞が炸裂しています。それは、人種差別であり、最も残虐な動物虐待そのものでしょう。彼等は「多文化国家」を標榜する一方、その実、その社会を貫く「人種差別の心性」を覆い隠すために日本の捕鯨に責任転嫁しているだけではないかとさえ思えてきます。 実際、「オーストラリア人」がカンガルーやディンゴだけでなく、先住民のアボリニジを(余興のために)虐殺していたのが終焉したのはわずか半世紀前のこと。現在でも「先住民族保護政策」という美名の下に、子供や孫をその親や諸父母から強制的に引き離し、彼等アボリニジの文化をオーストラリア政府とその社会はズタズタに分断し続けている。 ならば、忘れもしない、シドニーオリンピックの開会式で演じられた、コケージアンの少女とアボリジニの男性との心の交流など、オーストラリアの現実から見て荒唐無稽な茶番劇とまでは断言できないかもしれませんが、少なくとも、その劇が強調しようとした「多文化国家オーストラリア」なる理念とは別に、いまだにこの地が人種差別と動物虐待が横行する大陸であることは間違いないと思います。グリーンピースシーシェパードなどのテロリスト集団の反捕鯨の行動は、人種差別を助長し、彼等が選択した動物(=鯨)以外の動物の虐待から世界の目を逸らせる姑息で狡猾な行いであることも間違いないでしょう。 いずれにせよ、こんな国から「鯨を殺す日本人は野蛮である。恥を知れ」などと言われる筋合など全くない。而して、私は彼等に言いたい「日本が鯨を殺す行為は「捕鯨」であり、鯨からその肉や様々の部位をいただくためにその命をいただく、そんな罪深さを自覚した上でなされる行為である。しかるに、君たちが行なっているのは、単なる「殺戮」ではないのか」、と。オーストラリアが今後も理不尽な反捕鯨論を振りかざすのなら、日本はそのような不正義な国との国交断絶さえ遠慮する必要はない。私はそう考えます。
転載ここまで 耳障りの良いスローガンの裏には醜い目的が隠されていることはままあります。 この転載させていただいた記事は、見事にオーストラリアの欺瞞をあぶりだしていると思います。 人は業の深い生き物。殺生せずには生きられない。 しかし、奪う命を自らの命の内に活かすことで免罪される。 快楽や欲得のみで殺生してはならない。 命に差をつけることこそ差別主義。 すべての差別は人種差別につながる。 関連記事 鯨>有色人種