日の丸 君が代
中学の卒業式、日の丸が掲揚され、君が代が斉唱された。
しかし、実際に歌っている生徒はほとんどいなかった。
思春期の反抗心はもちろんあったろう。なんとなくかっこ悪いという感じもあった。
普段意識することもない国家というものに、こんなときだけ敬意を払えと押し付けられている気がしたのかもしれない。
その後もセレモニーのたびに同じような光景が繰り返された。
オリンピックやサッカー日本代表の試合では、なんの違和感なく日の丸に誇りを感じ、君が代を歌っているのに。
この国では“国”という存在に対して斜に構えるのが良しとされている。
政治家というのは、絶えず国民の見えないところで悪事を働いているイメージ。
日本という祖国を信じていない、信じることがかっこよくないという風潮。
反体制であることが正しいとされているムード。
これらは、戦争に負けたから出来上がったムードではない。負けたあと洗脳されたのである。
アメリカ政府、メディア、そして日教組に。
自虐的な歴史観を教えられた我々は、国を意識する事さえ罪悪と感じるようになっている。
唯一罪悪感を持たずにすむのがスポーツイベントなのだろう。
先入観なしにまなこを見開いて、歴史を見直してみればわかる。
日本の歴史は正負ともにあろうが、確実に“正”の方が多い。決して恥じる必要はない。
そして日本に生まれ育った、日本人であることがどんなに幸せで誇りを持てることかがわかるはず。
すべての日本人が、日の丸・君が代を、なんのためらいも、わだかまりもなく見上げ、歌える日をめざして、日本人の誇りを取り戻せる歴史的出来事を今後紹介していきたいと思います。