璧を完うす(へきをまっとうす) 別館

日本人の良き精神、大和魂という璧(宝物)を損なうことなく次の世代へ完うしたい!そんな願いを込めたブログです。

震災 無償で食料品などを提供した西友店長

店長への恩忘れぬ 震災翌日から食料品など無償提供 河北新報 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110501-00000010-khk-l04 河北新報 西友 営業を再開した店頭で客を迎える長岡さん(右)=30日午前9時ごろ、七ケ浜町西友汐見台店  東日本大震災被災した大手スーパー、西友の汐見台店(宮城県七ケ浜町)が30日、営業を再開した。津波で浸水したが、震災翌日の3月12日から5日間、店を開けて市民に無償で食料品などを提供した。再開するまでの間、店には感謝のメッセージが寄せられた。  3月11日の震災当日、店長の長岡謙二さん(47)は休みで仙台市の自宅にいた。震災発生後、店の様子を確認しようと、自転車で店に向かった。水没した道路が多く、利府町を経由する遠回りをして、たどり着いたのは深夜だった。  店内は津波で10センチの泥が堆積し、天井の一部も落ちていた。長岡さんは店に泊まり込んだ。12日朝、明るくなると住民が食料や幼児用オムツを求めて集まってきた。  長岡さんは「いちいち買い上げ額を計算しては、商品提供に時間がかかる」と本部に相談せず、独断で無償提供を決めた。大阪府出身で、阪神大震災の際、被災直後に住民が食料調達に苦労したことを知っていたからだ。  食品から生活用品までを提供し、在庫が尽きる16日まで営業した。店と並行し、近くの避難所にも食料品を無償配布した。  3月18日には本部に掛け合って調達した2リットルのペットボトル入りの水1800本とカップ麺などを店頭で配布。その際、おにぎりが一部余り、「当初の危機は去った」と判断、本格再開のため一時閉店することを決めた。  一時閉店を告げた張り紙はその後、住民の感謝のメッセージで埋まった。「ご恩は一生忘れない」「すばらしい対応だった。1日でも早く営業再開を」。その声に支えられて、長岡さんとスタッフ37人は再開を急いだ。  営業再開した30日、店には震災前と同じように十分な商品がそろった。長岡さんはスタッフの朝礼で「お客さまの期待を裏切らないようなサービスを続けよう」と誓い、笑顔で買い物客を出迎えた。  長岡さんが食料品などを無償提供をした判断は、災害時の対応として社内でも高く評価されているという。(阿部信男) 2011年05月01日日曜日

以上引用終わり 非常時には平常と違う判断・対応が求められる。 この西友 汐見台店店長 長岡謙二さんは即座に非常時の対応を取っている。 >震災翌日の3月12日から5日間、店を開けて市民に無償で食料品などを提供した。長岡さんは「いちいち買い上げ額を計算しては、商品提供に時間がかかる」と本部に相談せず、独断で無償提供を決めた。 連絡がつきにくいこともあったのだろうが、自分で責任を負って、英断を下したのだ。 非常に素晴らしい! 東電や政府にこのような見識があれば、福島第一原発も当初から廃炉を決めて、腹を据えて対応でき、その後の展開は大きく変わっただろう。 残念でならない。 >一時閉店を告げた張り紙はその後、住民の感謝のメッセージで埋まった。「ご恩は一生忘れない」「すばらしい対応だった。1日でも早く営業再開を」。 無償提供した損失など、すぐにとり返すことができるだろう。 いやもう取り返しているのかもしれない。 近隣住民の信頼という、かけがえのないものを勝ち取ったのだから。 もっとも長岡謙二さんは取り返すことなど考えてはいないだろうが。 いまだに取り繕うことしか考えていない、政府・東電とちがって… 人気ブログランキングへ 人気ブログランキングへ すばらしい!と思う方はクリックを!