思考停止の「極論」
かつて、失われた10年と言われ、閉塞感が世相を覆った頃、分かりやすいキャッチフレーズと強権的な手法で、人気を博した政治家がいる。
名を小泉純一郎という。
民衆は拍手喝さいして彼を支持し、実に1980日の長期政権を保った。
彼の在任中、日本は2%前後ながらも成長し続け、閉塞感は払拭されたかに見えた。
しかし、それは“かりそめ”だった。
日本の名目GDPは、バブルが崩壊した1992年以降一向に成長してはいない。
先進各国が成長しているのに、だ。
そして今再び、閉塞感が日本を覆おうとしている。
厳しく難しい時代だ。
このようなとき、歴史的に見ても、民衆は分かりやすく、強い指導者を求める傾向にある。
日本が抱える、複雑で正解がない、あちらを立てればこちらが立たないという数々の問題を、強い指導力で単純明快に解決して欲しいと願うからだ。
単純明快な方法、それは大抵の場合「極論」と呼ばれるものになる。
問題が抱える様々な関連性や背景を、一刀のもとに切り捨て、単純化してしまう方法論だ。
例えば、小泉純一郎が唱えた、『「郵政改革」をすれば、日本の構造改革は全て解決する』というようなものだ。
実際日本の構造は全く改革されなかった、と思う。
もとより、一国の構造改革がそんな単純なものであるはずがない。
100%の解答がない中で、調整に修正を繰り返し、多くの骨を折って改革改善を進めていくしかないのだ。
しかし、そのような面倒臭く、わかりにくい改革は国民に受けはしない。
国民は変わらない現状にいらだっているのだ。
コイズミのあと、国民の苛立ちは、安倍、福田、麻生と3代続けて約1年で政権を下ろし、政権交代まで実現させた。
けれど、鳩山政権はその期待に全く答えることができず、さらに短い266日の在任期間で終わった。
後を受けた菅内閣も息絶え絶えである。
国政が混迷を深める中、地方自治体では、ある種「コイズミ」的な首長が生まれ、支持を受けている。
大阪の橋下知事や、名古屋の河村市長、東京の石原都知事などである。
彼らの唱えるキャッチフレーズは分かりやすく、行動も単純明快で強権的でもある。
その行動に幾らかの成果が現れている面もあるだろう。
彼らに似た政治家が国政でも再び、現れる日が近い将来くるかもしれない。
そうなれば、小泉純一郎の様に支持を得て、強権を振り回すことになるだろう。
国民はそういう指導者に飢えている。
そして、国民は彼に任せることによって、一時のカタルシスと引き換えに、長い期間代償を払うことになるだろう。
「極論」的な改革は、決して物事を解決することはできない。
解決できるかのように“錯覚”させるだけだ。
正解は極右にも極左にもない。
財政赤字を消して日本を大きく成長させる、魔法のような経済政策も存在しない。
一瞬で社会を変える特効薬もない。
「極論」に飛びついてはならない。
「極論」は考えることを放棄し、論理的思考を省略した、白か黒かの結論だから。
安易な考えの中に、真理は宿らない。
どんなに苦しくても投げ出さず、最善な方法を模索し、それを国民に説明して物事を進めていく、そんな政治家に国政を委ねなければいけない。
次の総選挙でまたも選択を誤ったら、「失われた30年」ではすまないだろう。
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