明治節と昭和天皇の全国巡幸
今日は文化の日、ですが文化の日ってそもそもなんぞや?
1946年に日本国憲法が公布されたのを記念して、祝日に制定されたんです。
なるほど、そういう“いわれ”があるのか、と思ったそこのあなた、実はこの話にはウラがあるのです。
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実は戦前、今日11月3日は「明治節」という祝祭日で、明治天皇を誕生日であった。
ではなぜこの日に、日本国憲法が公布されたのか?何か意図的なものを感じるのは私だけではあるまい。
戦後日本の、よく言えば民主化、悪く言えば骨抜き、を意図していたGHQが、近代日本の象徴とも言える明治天皇のお誕生日に、わざわざ憲法の公布をぶつけてきたのではないかと。
「1回だけなら誤射かもしれない」じゃなかった一度だけなら偶然かもしれない。
しかし、同様の事例は他にもある。
所謂A級戦犯と言われた人々を起訴した日付が4月29日(天皇誕生日(当時)現 昭和の日)
そして、処刑したのが12月23日(皇太子殿下(当時)の誕生日 現 天皇誕生日)
はかったように明治天皇、昭和天皇、今上天皇の誕生日にぶつけてくる。
これはもう偶然ではあるまい。
GHQが日本民族の闘志を未来永劫削ぐために、このような小細工をしたのであろう。
しかし次元の低い姑息な手段に、天皇陛下も日本国民も揺らぐことはなかった。
昭和天皇は戦後、8年半を掛けて日本全国を巡幸され、数多くの日本人を励ました。
その天皇陛下のご意思とそれに応える日本国民の意欲が、戦後日本の奇跡的な復興を成し遂げたのだ。
GHQは昭和天皇から巡幸のご希望が出されたとき、各地の日本人から石でも投げられるだろうと予想して、許可を出したそうだが、返ってきたのは“石”ではなく“意志”だったのだ。
ここに陛下が各地を巡幸された時の動画がある。
特に最後のシーン、陛下が広島を訪問された時の「バンザイ」の歓声を、今の日本人は心に留めておかねばならない。
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