璧を完うす(へきをまっとうす) 別館

日本人の良き精神、大和魂という璧(宝物)を損なうことなく次の世代へ完うしたい!そんな願いを込めたブログです。

日本のアタチュルクはどこに

以下産経新聞より引用

トルコ建国の父、アタチュルク銅像 新潟から和歌山・串本に移設へ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091218-00000640-san-soci trd0912182002012-n1.jpg 和歌山県串本町への移設が決まったアタチュルク像(トルコ共和国大使館提供)  2009.12.18 20:00  トルコ共和国政府が新潟県のテーマパークに寄贈したものの、閉園などによって、屋外に放置されたままとなっていたトルコ建国の父、ムスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領の銅像が和歌山県串本町に移設されることが決まり、18日、串本町が発表した。トルコの軍艦「エルトゥールル号」が串本沖で沈没した際、地元漁師が救出活動にあたったゆかりがあるためで、沈没から120年にあたる来年6月に除幕される。  銅像が設置されていたのは新潟県柏崎市のテーマパーク「柏崎トルコ文化村」。平成8年に開園したが経営破綻し、17年に閉園していた。その後、施設は結婚式場として利用されていたが、新潟県中越沖地震が発生。倒壊の恐れがあるとして像は台座から外され、屋外に放置されたままとなっていた。このため「トルコとの友好関係を損なう」という声もあがっていたという。  移設をめぐっては20年3月、駐日トルコ大使館がゆかりのある串本町に打診。町議会も承認するなどして交渉が進められていたが、同園の土地をめぐる訴訟が起き、移設交渉はいったん頓挫していた。しかし、今年10月にトルコ大使館が像の寄贈を要請したところ了承され、移設が決まったという。  串本町の田嶋勝正町長は「両国民の友好のシンボルとなる像の移設が決まり、うれしい」と話している。

以上引用終り いや~本当によかった。 トルコでは神格化されている国父ムスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領の銅像を不敬な状態においておくことは、心苦しかった。 以前にネット署名の記事も上げたことがあるが、解決にご尽力された方々に敬意を表します。 関連記事 トルコとの絆を守れ 思えばムスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領は独裁者です。 一般的に独裁は良くないものとされていますが、例えば古代ローマの政体の、王政から民主制、そしてパックスロマーナを築いた帝政への歩みを見るとき、単純に民主制が優れているとは言えないという思いにもかられます。 民主制の良いところは、資質の良くない人間が権力を握る、権力を行使するリスクを避けられるという一点でしょう。 しかし有能な人物が最高権力についた時の変革のスピードは、独裁の足元にも及びません。 ムスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領はまさに最優秀の独裁者でした。 暗殺未遂を避けたあとの有名な演説です。

「私は数えきれないほど戦場で死と直面したし、必要とあらば明日にでも再び命を戦場 でさらすつもりでいる。だが、それはすべて、祖国を強力な独立国家にしたいがためである。私は、私の生きがいである唯一のもの、すなわちトルコ国民を、進歩に向かって導かねばならない。我が国民が進歩への道をしっかりと、そして方向を間違えることなく歩めるようになった時、私はすべての権力を手放すつもりでいる。だが、我が国民の歩みはまだ始まったばかりなのだ。すなわち、私を殺すことはトルコ国民の未来を奪うことなのだ。もっとはっきり言おう!現在の時点においては、私がトルコだ!」

強権的といえばそうだろう。しかしそこには溢れんばかりの祖国への愛がある。 真に祖国を思い、優れた手腕をもった指導者を得たことはトルコ国民の幸福だった。 祖国への思いも、手腕も持たない人間が独裁的な権力を握っているある国とは大違いである。 民主制の国に住む国民として求めてはいけない人物なのかもしれないが、憧れを抱かざるを得ない。 トルコと串本・日本との友好のきずなを描いた動画です。 参考書籍
トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争
トゥルグット・オザクマン
三一書房
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おすすめ度の平均: 5.0
5 トルコ共和国独立戦争を活写する超〜圧巻書物
5 “トルコ国民”の後方支援がなければ、あり得なかった勝利
5 稀有な、最高に面白い現代史・人間史
4 初版での感想
5 オスマン帝国中国共産党帝国
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