璧を完うす(へきをまっとうす) 別館

日本人の良き精神、大和魂という璧(宝物)を損なうことなく次の世代へ完うしたい!そんな願いを込めたブログです。

政治と宗教

民主・石井氏 公明党創価学会の関係追及<10/16 17:06>  民主党・石井一議員は、16日の参議院予算委員会で、公明党創価学会の関係について追及した。審議が数回にわたって中断するなど、緊迫したやり取りとなった。  石井議員は、公明党国会議員が「創価学会」池田名誉会長に献金をしているなどと指摘して「政教一致だ」と批判した。しかし、公明党・冬柴国交相はこの献金を否定した。  石井議員「『P献金』というのがある。プレジデント(創価学会の)池田名誉会長を指す。国会議員一人当たり30万円徴収。公職選挙法違反なのか。これは、政治資金規正法違反なのか」  冬柴国交相「『P献金』が何物か知らないが、そういうことはしていない」  石井議員「よくその閣僚の席に座っていられる。この言葉は重いですよ」  冬柴国交相「もし(P献金が)ないとなったら、あなたも(予算委員会の)委員を辞めますね?」  石井議員「常軌を逸した発言だ。公明党というのは創価学会なんです。票を通じて今の政府を支配している。こんな構図があっていいのか」  石井議員は「政教分離を定めた憲法20条に抵触する問題だ」と指摘し、公明党を離党した福本潤一前議員の国会招致を求めた。公明党創価学会の関係を明らかにしていきたいとの考えで、「必要に応じて池田名誉会長らに国会に来ていただきたい」と強調した。 日テレNEWS24より引用

人間の思索は自由であるべきだと思う。 人は死ぬまで真実を捜し求めて、彷徨し続けるべき存在だと思う。 真実の教えなどに救われ、安心してしまっては、何も生み出すことも、探し出すこともできなくなる。 真理は自らの手で探し出すべき事柄で、人に(神などの絶対的存在に)教えられるべきではないと思うし、教えることはできないと思う。 真理は人それぞれの、自らの中にこそあるのだ。 宗教、とくに絶対的戒律や教え、存在がある宗教は、人間の思考を停止させてしまう。 自ら考え、悩まなくても、教えを学べばよいからだ。たとえその教えが間違っていても、思考停止した人にはもはやまちがいに気づくことはできない。 政治と宗教を考えるとき、憲法二十条の解釈が問題となる。 創価学会は宗教団体で、宗教団体の政治活動はなんら制約されない。(内閣法制局見解) 創価学会公明党は別の法人であるから、創価学会公明党を支持するのはまったく問題がない、ということになる。 もちろん詭弁もいいとこで、異説もあるわけだが、憲法解釈論はこの際置いといて、 いかなる宗教も政治的活動はすべきではないし、する必要もない、と思う。 宗教と政治はその本質から、相容れない関係のはずだ。 絶対というものを内包する宗教は、人の社会的な問題を扱う政治とは交わってはならない。 宗教的絶対が政治に絡んだとき、テロや戦争など大きな悲劇が引き起こされてきた。 精神的な上位者、教祖や宗教上指導的な立場の人が、この政党を支持しようと信者を導けば、その影響力は絶大である。相手は思考停止しているのだから。 現実の問題について自分で考え、参政権を行使しなければならないのに、理想郷にいる人の教えに基づいて、自ら判断することなく投票されたら、そして、その教えがまちがっていたら、さらにその教えが別の目的の隠れ蓑だとしたら、宗教に民主主義が骨抜きにされてしまうことになる。 宗教は人々の精神面をケアしてればいい。 もっともフランス政府にカルト(セクト)指定されている創価学会は別だがな! 石井議員くれぐれも身辺には注意を払って下さい。 「絶対は絶対にない。それが唯一の絶対」 byグリッティ(私)