璧を完うす(へきをまっとうす) 別館

日本人の良き精神、大和魂という璧(宝物)を損なうことなく次の世代へ完うしたい!そんな願いを込めたブログです。

入試をネットで質問した人の人間力

京大入試 質問サイトで質問した人こそ合格すべきとの声 アメーバニュース  26日、京都大学の入試で試験問題を質問サイト・ヤフー!知恵袋に問題を投稿した人物が回答を求めていたことが発覚した。結果的に答えも書き込まれ、投稿者はお礼のことばを再度書き込んでいた。同様のことは立教大学同志社大学早稲田大学でも発生していた。この件についてネット上では「バカ過ぎ」や「ゆとりハンパないなw」など否定的な意見が多数出ているが、人気ブログ「Chikirinの日記」著者のちきりん氏がツイッターで別の視点から感想を述べている。  ちきりん氏は「この『ネットワーク&ITの時代において問題を解く力』がある学生を入学させたいなら、こういう人まさに合格させるべきな気がする」もう『自分の頭の中に、答えを保存してるかどうか』みたいなスタンドアロンな知識の保存方法だけを評価する必要はないよね。『どうやったら世界から答えを見つけてこれるか』という力こそが問題解決力じゃん」と、ネット時代には、昔ながらの「記憶力を頼りにした解答能力」だけが求められるべきではないと指摘した。  また、まともな大学は面接などで入学者を選ぶべきとも指摘しており、ちきりん氏の一連の発言は多数リツイートされている。

以上引用終わり ちきりんさんのブログは私も時々読ましていただいているが、これは些かいただけない。 世論と違った見方をして、注目を集めようとでも思ったのだろうか? >「この『ネットワーク&ITの時代において問題を解く力』がある学生を入学させたいなら、こういう人まさに合格させるべきな気がする」「もう『自分の頭の中に、答えを保存してるかどうか』みたいなスタンドアロンな知識の保存方法だけを評価する必要はないよね。『どうやったら世界から答えを見つけてこれるか』という力こそが問題解決力じゃん」 まず大前提として、大学は「学問」をするところだ。 そして、その「学問」をするために必要な最低限の基礎知識があるかを判定するため、学力テストはある。 それがなければ、『ネットワーク&ITの時代において問題を解く力』とやらがあろうと、「学問」はできないのだ。 なぜなら、「学問」は突き詰めていけば、誰も考えたことのない発想や思考、発見や発明をすることに意義がある。 そういうものは当然のことながら、ネット上にも誰の頭の中にもない。 もちろんYAHOO知恵袋では教えてくれない。 そのために、基礎となる知識をインプットし、たくさんのスタンドアロンな知識の保存をしたとき、初めていくつかの情報を有機的に繋げることによって生み出されるのだ。 だから若いうちは基礎的知識をインプットし続けなければいけないし、それが出来ているかどうかを判定するのが学力テストだ。 基礎のない人間に、何も創造できはしない。 そういった新しものを生み出せる力こそ、“人間力”であり、ネットでは得ることができないものだ。 >まともな大学は面接などで入学者を選ぶべき 面接や小論文でみるのも、やはり“人間力”だろう。 安易に答えを求める人間には、やはりそれもありはしないのだ。 人気ブログランキングへ 基礎が重要だと思う方はクリックを!