璧を完うす(へきをまっとうす) 別館

日本人の良き精神、大和魂という璧(宝物)を損なうことなく次の世代へ完うしたい!そんな願いを込めたブログです。

被爆国の道義的責任

以下東京新聞より引用

『核廃絶の先頭に』首相国連演説 対北朝鮮 前向き対応用意 2009年9月25日 朝刊  【ニューヨーク=竹内洋一】鳩山由紀夫首相は二十四日(日本時間同日深夜から二十五日未明)、核不拡散・削減に関する国連安全保障理事会の首脳会合で演説し、核兵器の廃絶に向けて日本が先頭に立つ決意を示した。非核三原則の堅持を国際社会に宣言するとともに、核保有国に核軍縮を求めた。国連総会の一般討論演説では、北朝鮮に対して、拉致問題の再調査を条件に前向きに対応する用意があると表明する。  ◆非核三原則堅持を宣言  首相は二十四日午前(日本時間同日深夜)の安保理首脳会合の演説で「われわれは核軍拡の連鎖を断ち切る道を選んだ。唯一の被爆国としてわが国が果たす道義的な責任だ」と述べ、核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」とする日本政府の基本政策である非核三原則の堅持を確約した。同時に「日本は核廃絶に向けて先頭に立たなければならない」と強調。包括的核実験禁止条約(CTBT)と兵器用核分裂物質生産禁止(カットオフ)条約の早期交渉開始を求めた。各国指導者に被爆地の広島・長崎への訪問を呼び掛けた。  北朝鮮の核開発に対しては「断固として認めるわけにはいかない」と表明。北朝鮮の核実験に対する国連安保理の追加制裁決議の実効性を高めるために、必要な措置を取る考えを明らかにした。 以下略

以上引用終わり よく使われるフレーズだけど… >唯一の被爆国としてわが国が果たす道義的な責任だ 被爆国の道義的責任とは何か? 被爆国とは改めて言うまでもないが核を落とされた国のことである。 日本でいえば核を落とされ戦争に負けたのだ。 そこから導き出される教訓とは何か? それは核を落とされないようにすることだ。 それが被爆者を生んだ政府の責任というものだろう。 核廃絶は核を落とした側の道義的責任ではないのか? どちらも突き詰めれば核廃絶になるのかもしれない。 しかし、明日からそうなるわけではない以上、現実的な対応もとる必要がある。 戦後日本はどういう対応をとったか? アメリカの核の傘に入り、核抑止力で核を落とされないようにしたのだ。 それは現在も変わっていない。 アメリカの核の傘に入りながら、「私は核持ちません」ということは自家撞着の欺瞞でしかない。 >北朝鮮の核開発に対しては「断固として認めるわけにはいかない」と表明。 この発言がその矛盾をよくあらわしている。 自ら核放棄を宣言するのは極めて日本的な行動であり、日本人には共感されやすい。 国際政治のパワーポリティクスを否定して、丸腰のまま特攻するのも、日本人らしいともいえる。 日本人の特性として、“したたかな外交”なんてものは望めないことはよくわかっている。 しかし、本当にこの宣言が日本人らしいのだろうか? おそらく多くの日本人がアメリカの核の傘に入っているという自覚がないのではないかと思う。 護衛の後ろに隠れて「おれは武器を持っていない」ときれいごと言うのが日本人の姿でいいのか? きれいごとで押し通すなら、日米安保も破棄して自衛隊も解散すればいい。 それならそれで潔い。 敗戦国の道義的責任は果たせないが。 人気ブログランキング参加中!人気ブログランキングバナー小

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