崩壊の前日
今日は1月17日、決して忘れられない日だ。
1995年1月17日午前5時46分、わが故郷は未曾有の災害に見舞われた。
私は当時(今もだが)他県で暮らしており、直接経験したわけではない。
遠く離れた私の地域も震度2程度の揺れがあり、いつもは気づかないのだが、なぜかこの日は早朝にもかかわらず目が覚めた。今思えば不思議だ。
その日、第一報はカーラジオから聞いた。すぐに実家に電話したがつながらず、結局3日間連絡がつかなかった。
テレビから流される見知った風景の変わり果てた姿に、半身をもがれるような痛みを味わった。
燃える家々、倒れているビルや高速道路、途方に暮れる人々、すべての映像がいまだに鮮明だ。
3日間落ち着かない日々を過ごした後、同じく他県に嫁いだ姉から両親の無事を聞いた。家の損害も軽微だということだった。
電気もガスも止まっていたため、車のエアコンで暖をとっていたそうだ。公衆電話は長蛇の列でなかなか連絡できなかったという。
後で聞いた様々な話の中で、一番印象に残っているのは母の言葉。
「地震だとは全然思わなかった。怪獣が家を掴んで揺さぶってるのかと思った。」
震度3がでかくなったのが大地震ではないのだ。
次元が違う揺れに襲われるのが大震災。
しばらくして帰省したとき、車窓から見える雨漏り対策の青いビニールシートや、虫食い状態の町並みを目にして涙がにじんだ。
生活基盤を失い、仮設住宅が撤去されるギリギリまで動くことができなかった友人の家族。
幸い身近で亡くなった人はいなかったが、愛する神戸という街を失った。
今は両親も友人も元気に暮らしているし、街も復興している。
けれど決して忘れない。亡くなられた多くの人たちと崩壊した街の姿。
そして、今日普通に暮らしていても、明日すべてが前触れもなく失われる、そんな不確かな日々を私たちは生きているということを。
「崩壊の前日」 Words&Music by 角松敏生 いつも通りの街ただひとり彷徨えば 行くあてのない 日々を知らぬ人々に出会う にぎわう通りこんなにも素敵 満ち足りているはずでも 何故なんだ 足りないこと 知っていても 誰もみなそんなこと気もかけずに 明日がまたやってくると信じている 約束もないのに また日が暮れていく どこか遠くの街で泣いている愛しい人よ どこでも会える 思い込んでたちっぽけな世界も たったひとつの出来事だけで 失うほど儚い 誰も来ない 誰もいない 誰のために 僕たちは生きているの気づいたなら 無くしたもの取り戻せる真実と 想い出の街に 今 風が吹いている 崩壊の前日に君は何処にいたのだろう そして今でも僕たちはここにいられる 誰もが同じ痛みと出会う けれどいつか過ぎ行く 回り巡る 日々の中で 見つけられる 大事なものそれだけを失わないで 今を生きて 今を見つめ ほらごらん 大好きな街にひとつ灯りがともりだす