真実と報道の距離
20年近く前、大学の一室で私の固定観念は一つ崩された。
税法の講義だった。その初日、あるプリントが全員に配られた。
教授はそのプリントを読んで感想を書けと言う。
内容は新聞記事のコピーで、小学6年生数人がある犯罪を起こし警察に補導されたという事件報道だった。
犯罪の詳しい内容は覚えていないが、小学生ということもあり、私も、おそらく講義を受けていた二十歳前後の学生の多くも、かなり衝撃を受けたと思う。
感想は、犯罪の低年齢化を嘆く、子供と親との関係、学校教育について、犯罪を助長する社会、というような感想が多く寄せられたと思われ、私もそんな内容を記入して提出した。
すると、教授はもう1枚プリントを配るので、また感想を書けと言う。
今度はもっと衝撃を受けることになった。
さっきの新聞記事は誤報で、子供たちはまったく犯罪を起こしていないというのだ。
こんどのプリントに対する感想はみんなどう書いたんだろう。
新聞報道はもっと正確に、だろうか。警察は捜査をしっかりしろ!だろうか。
私はなによりも新聞がまちがった報道をする、そして警察がまちがった警察発表をする、ということにショックを受けた。それまでマスメディアは正しいことを報道するものだと信じていた、というよりもそういうものだと思い込んでいた。そして警察は正しいと…
税法とはまったく関係ない話だったが、大学での最大の収穫がこの講義による固定観念の崩壊だった。
翻って現在の報道はどうだろう。
誇張や矮小、捏造が横行し、真実はあるときは覆い隠され、またあるときは作り上げられ
ている。本当のことは書けない、書かない、書きたくないの三ない報道がほとんどで、メジャーなマスメディアからのみ情報を得ていると、真実を知らずに生きていくこととなる。
そして残念ながら、かつての私のように新聞やテレビ、警察はおおむね正しいと思っている人々が大多数ではないかと思う。
これまではそんな真実は知らなくったって幸せに生きていけた。
しかし、これからは、国民一人一人が真実を知り、国政を動かしていかなければ、日本の平和や繁栄は守れない。そんな危機的な状況にあると思うのです。
もっともこの事実も矮小化されていますが。
今はブログという媒体があり、多くの優良なブログが報道されない真実を発信されていますが、微力ながら私もその一翼を担いたい。そして皆さんにとっての“プリント”にこのブログがなれればと思っています。